自己言及性とお釈迦様の掌

「自己言及性」とか,それに準ずる状況が好きです.簡単なネット検索による定義では「ある状態の原因がその状態自身であるような状況」ということです.自己流の使い方かもしれませんが,自分が何かの主張(多くは批判)をする際に,自分自身の考え方すらもその批判の論拠にどっぷりと立脚しているような,お釈迦様の手の上から逃げられてない状態に出くわした時に「自己言及性」を感じるとします.自分が見えてない状況,と言っても良いでしょうか.僕はよくあります.例えば,何かの偏見について「これはけしからん」と主張する際に,実は自分自身が紛れもなくその偏見を持っていて,その偏見に基づいて主張が行なわれているような場合です.以前にはこんな文章も書きました.自己言及的な気付きがあると,少し気恥ずかしくなり,そして少し賢くなった気がします.

自分は(頭の体操としてや,言葉遊びとしても)こういった話が好きなので,自分自身についてだけでなくて,他人の発言や文章にも突っ込んでしまうことが少なくありません.粗探しのように聞こえて顰蹙を買うこともあり,TPO をわきまえないといけないと思っています.とはいいつつも,今日SNSで流れていた文章(リンク)に,お釈迦様の掌から逃げられていない思考の跡を見つけたので,少しツッコミたくなりました.

上記ブログの著者の田村耕太郎さん.いわゆる昨今の「グローバルブーム」のアジテーターであると理解しています.特に海外からみた日本についての発信が多い方だと思います.元参議院議員ということで,このような方が主張をされるときは,声が通りますし,社会的立場もある方なので,自分の発言力の影響を理解して下さることを切に願います.

気になったのは,上記のブログの最後のあたりです.

後、話していて印象に残ったのは、国際会議で日本の女性が目立たないこと。仕事柄この友人も世界中の国際会議に出まくっているが、「少し前までは、国際会議で女性が少ないのは、日本と韓国だけだったが、今や日本だけだ」という。日本で最も女性の登用が進んでいる財務省がそう言うので、なんだかなあ、という感じだ。女性がもっと社会で活躍できるよう、男の上から目線でのアイディアではなく、女性目線で日本社会のあり方を見直さなくてはと思った。

この友人夫妻が重宝したマニラ生活でのリーズナブルなメイドさんの供給くらいから始めねば!

これは一体なんなのかという違和感がありました.日本女性の登用率が低いことを自分から指摘しておいて,舌の根も乾かない次の段落で,伝統的な性別の役割分担の差によって固定化された職種に女性が就くことを提案しているように解釈できました.

とりわけ,田村さんご自身が「世界ではどうだ,グローバルではどうだ」と頻繁に発言するからこそ,このような旧時代的の性別による役割の固定化に組するような発言をされる違和感は拭いきれません. 1 もしかしたら,これは皮肉かネタなのでしょうか.もし皮肉なのだとしても,女性の登用率というよりも,社会階層による仕事や賃金格差に関しての話だったりして,あまり文脈に即した筋が良い皮肉とも思いません.もしこれが壮大な釣りだということなら,冗談がわからず申し訳ありませんが.

誰にとっても自分を客観的に見ることは難しいと思いますので,周りの方も指摘してあげられると良いと思います.昨今の橋下さんの発言もそうだし,もう少し一般的な話としての問題提起ですが,社会的な立場のある方には特に発言に気をつけてもらえないでしょうか.私はアメリカに長らく住んでいるために,日本人の平均に比べると少しPC(politically correctness)を気にかけるようになり,日本人にとって細かくてどうでも良く聞こえることに敏感になったのはおそらく事実です.しかし私の趣向を度外視しても,もっとシンプルに,声の大きな方が,言う必要もないのにバランスの悪いことを言うと,不必要な形で国益を損ねることにも繋がりかねません.多くの人に声を届けられるのは,誰もが持っているわけではない財産です.その財産をポジティブな結果をもたらすように使って欲しいと願ってやみません.

Notes:

  1. ブログやインターネット上の文章を読んだことがあるだけで,著書などを読んだことがないのはあらかじめ断っておきますが,田村さんについて率直な感想を言えば,主張が盲目的に海外の教育機関や海外の経験を礼賛しているように聞こえるので,私の好みや考えには相容れないこともあるのは事実です.他方で, 多くの人に声を届ける力を持っており,それによって多くの人が視野を広げられる可能性があるという意味で,重要な影響力を持った方なのだと思います.だからこそこのような発言は残念でした.韓国の大統領報道官が訪米中に現地の女性にセクハラ/性的暴行をして大変な問題になっていますが,韓国人がこの件について恥じるのと同じくらいに,私は日本人としてこのような発言を恥じています.