新聞などに載ってたりで思い出したのですが,今日は東京の何校かの私立中学の受験日ということです.思い出話になりますが,自分が初めて東京に行ったのが20年前のこの日でした.塾が生徒に東京の難しそうな中学の受験をすすめて合格したら広告に使うという,子どもに受験産業の広報の片棒を担がせる性質の受験で,当時地方都市では見られるパターンだったと思います.今の自分なら反発してしまうかもしれませんが,当時は素直でスレてない子どもだったので「新幹線に乗って東京に行く」のが嬉しくて,受験を快諾したのを覚えています.だって,東京に行くのも,新幹線に乗るのも初めてならば,それは12歳の子どもの好奇心を持っていれば抗えないものでしょう.
初めての東京の感想は(当時の自分の限られた語彙で表現すれば)「うおー外人が多い!普通の道路を外人が歩いている,すごい!」ということでした.今でも覚えているのは,アスファルトで舗装されたゆるい坂道の両側に赤レンガの家がいくつかあって,坂の上の方から背の高い黒人の青年がサングラスをして歩いてきた光景です.当時の僕は,サングラスは悪いことをする人が自分の素性を隠すためにかけるものだと思っており,向こうから歩いて来る人が見慣れない外国人だったのと相まって,威圧感を通り越して恐怖すら感じたのを覚えています.今思えば普通の外国人の青年が散歩していただけだろうから,当時何であんな気分になったのか,相手には申し訳ないものの,初々しい思い出です.
観光気分で行ったのもあり,受験についての詳細は覚えていません.ただ1つだけ記憶に残っているのは,社会科の問題で,在日韓国人の例を出して「今後社会がより多様化していく中で,どのように多様な人と共生していくべきかについて,意見を述べろ」みたいなエッセーの問題があったことです.準備らしい準備もしておらず,急に長い文章を書けと言われて面食らったから記憶に残っているのかもしれません.一方で,自分の地元の中学ではあまりないタイプの問題だったし,トピックとして興味深いこともあり,稚拙ではあっても色々考えて文章を書くのが楽しかったとも記憶しています.もちろんプレッシャーのない受験だったからでしたが,自分にはいい思い出です.
結局,断片的ではあるんだけど,自分の初めての東京での記憶は,外国人や社会の多様性に関連した記憶なのは面白いと思います.もしかしたら,後になってからの経験が,残す記憶を選択したのかとも思いましたが,その辺はよくわかりません.まあでもこの2点についてはインパクトがありました.あれから20年経って,外国人として日本国外に住んで,時にはあの時の黒人青年のように偏見を持たれて生活しています.時間が経った今では,自分より大きな黒人柔道選手とスト2のように睨み合っても恐怖はないですし(筋骨隆々とした人が多くて,試合の勝ち負けは必ずしも期待はできませんが),在日外国人の友人も,外国人の友人もたくさんできました.20年経つと様々な周辺状況が変わるものですが,何よりも変わったのは自分の感覚だと思います.
振り返れば,あの東京訪問が僕にとって世界を広げ多様性を受け入れる第一歩だったのかもしれません.その第一歩は,住み慣れた自分の故郷を(一時的にではあれ)離れたからこそ起こり得たのだと思いますし,それは偶然ではないはずです.僕は環境が変わること,流動性が高いこと(仕事であれ,住む場所であれ)に大賛成なのですが,「どうして若いうちに1つの場所に留まらず,色んなことをした方が良いのか」と聞かれたら,それは「色んな人の<ふつう> 1 を知ることで,色んな人に優しくなれるから」と答えられるのかな,と考えています.多様性が好きか嫌いかは宗教のようなもので、他人を説得したり論破しようというわけでもないので,とりあえず僕はそう信じるということですが.
最後になって少し発散しますが,12歳が「受験」という一元的な競争に晒されてるのは厳しい社会だなあと,20年前12歳だった自分は感じています.受験というのは結果がはっきり出ますから,挫折することもあるでしょうし,他に評価軸がなければ,その挫折を乗り越えるのは大変なことだと思います.例えば「ベストドレッサーおしゃれコンテスト」で自分の居場所が決まってしまうような社会なら,僕はどこに行けば良いのかわかりません.不幸に感じていたのと思います.「日本人と外国人」という多様性について書きましたが,他にも「価値観の多様性」というのがあるのでしょう.受験が得意なこと,スポーツができること,料理が上手なこと,歌が上手いこと,友達に優しいこと,オシャレであること,鉄道に詳しいこと,動物が好きなこと,他にも様々な価値のベクトルが並列に,掛け値なしに存在して,子どもも大人も自信を持てる価値観の軸に多様性があれば,より住みやすい社会になるだろうと信じています.またそのような社会を作るのは大人の責務だとも思いますし,自分が生涯かけて何らかの形で貢献したいと思っていることです.