MITの留学生や研究者の日本人仲間には、将棋やチェスが強い人がたくさんいて、自分もここ1年くらい、小中学生の頃以来、久しぶりに将棋をやるようになりました。最近少しずつ勝手が分かってきて「飛車や角などの大駒を切って、その場で必要な駒と交換し、その手駒で相手を詰める」事ができるようになってきました。これは自分のような初心者にとっては、将棋の戦術の観点から大きなブレイクスルーだと自画自賛しているのですが、自分の生き方に対しても面白い気付きがあると思ったので、書き留めておきたいと思います。(と偉そうなことを言ったけど、昨日は金曜なのに夜中まで実験して上手く行かずに凹んでいるため、少しでも何かアウトプットしたいと思っただけです。)
将棋の目的は、相手の王将を詰めること、です。詰めるというのは、相手の王将を動けなくすることで、終了の時点で駒を何枚もっているとか、自分の王将がどこにいるとか、他の要素は全く勝敗に関係ありません。自分の持ち駒を適切に動かして、自分の王将を相手から守り、相手の王将を動けなくしたら勝ち、それだけの単純明快なルールです。
将棋の駒にも、前にしか進めない「歩兵」から、色んな方向に動ける「金将」「銀将」、盤上を飛びまわることのできる「飛車」「角行」など、種類があります。それぞれに個性のある将棋の駒なのですが、僕は初心者にありがちと言わるように、飛車・角行などの大駒が好きです。何だか強いような気がするし、持っていて安心するから、というのが理由です。
また、将棋には、駒得・駒損という概念があります。歩兵よりも香車、香車よりも銀将や金将、と言ったように、駒によってランクのようなものがあり、ランクの低い駒よりもランクの高い駒を持っていた方が一般的には有利になります。冒頭の状況のような「飛車や角などの大駒を切って、金銀などと交換」は、大駒と小駒の交換で駒損ということになります。
将棋のやり方として、ゲームが始まってすぐは守りを固めつつ少しずつ駒得になるようにして、中盤でスキを見て相手に突っ掛けて、そして終盤の詰めの局面に持っていく、と言ったように段階ごとに戦略は変わってくるようです。そしてベタなのですが、このようなステージによる戦略の変化には、人生をどのように生きるかについての示唆があると感じました。
学生時代や働き出してすぐは、まだ将来の見通しも立っていないことが多いかと思います。そのため、いわゆる汎用的なスキルを身につけながら、将来の身の振り方を考えることが多いでしょうか。使い方がわからなくても、できるだけ「駒得」になるように(後から勝負をかけやすくなるように)、勉強したり、見栄えのいい学歴を付けたり、職歴を付けたりする、そんな人生の段階が存在すると思います。有名なスティーブ・ジョブズのスピーチで言うと、点を打っている段階なのかもしれません。
一方でややもすれば、毎日の仕事に忙殺されて、将来の身の振り方を真剣に考えることを怠り、駒得をすることが目的化したり、駒得した状態に安住してしまう、そんな危険もはらむ段階です。自分のことを振り返れば、Ph.D. を取るために毎日実験していた頃がこれに相当したのだと思います。キャリアは人それぞれですが、東大に行きたい、ハーバード大学に行きたい、もそう、短期間で濃密な経験を積めると言われる企業や、有名企業に新卒就職の人気が集まるのも同様でしょうし、Ph.D. に限らずMBAやMPAなどの学位取得を目指すことだって、多かれ少なかれその後に備える駒得を目的とした側面があるように感じます。
「ヘボ将棋 王より飛車を かわいがり」という川柳があるようですが、これは上手いこと言ったものだと思います。目的が単純明快な将棋というゲームの中でさえ、王将よりも大駒である飛車を大事にしてしまう、換言すれば最終目的を見失ない、大駒を維持している安心感に浸ってしまう(そしてそれはヘボいこと)、というように自分なりに解釈しています。自戒も込めて、駒得が目的となってしまって、将棋に勝つことが本当の目的であるのを忘れてしまっては、それは本末転倒です。
そんな中で冒頭の状況に戻ります。積み上げてきた大駒を切る、駒損を厭わずにその場で必要な駒を獲得する、その結果最終目的である相手の王将を詰める、という終盤の戦術は自分に取っては非常に魅力的に映りました。また、直したい行動のクセのようなものに気付くいい機会となりました。羽生さんの伝説の5二銀というのは自分も聞いたことがあった端的な例ですが、自分の駒を一見捨てるように打って、美しく相手を詰める土台を作っています。そのレベルには遠く及ばず3手先を読むくらいの話でも、駒損をして「相手の王将を詰む」という目的をブレずに達成するという体験を積み重ねると、自分の考え方が柔軟になっていくと感じました。これは将棋内での話です。
さて、これを自分の人生に当てはめるとどうなのかな、と考えていました。普遍的な評価やスキルの積み重ねを目的化してしまっていないか、そして、その積み重ねを必要に応じて切ることが出来ているかと言うと、正直なところ以前に比べてその勇気を失いつつあるのと思います。高校を卒業して留学した際には、長期的な目標を設定して短期的な駒損を厭わない生き方ができていました。普遍的に評価される東大を目指すよりも、自分で目標を設定してアメリカの田舎の大学に行く決断ができる自分は筋が通っていたと自信を持っていました。いつの間にか、大学院、最初の就職と、分かりやすい駒得ができる環境にいるうち、飛車や角行を集めて維持する安心感みたいなものにスポイルされてしまったのではないかと、恥ずかしながら自省したところです。
将棋をやりながら考えた、客観的な駒の損得に振り回されずに、必要な時に必要な駒を獲得して、相手の王将を詰める経験の積み重ねは、自分の考え方を柔軟にしてくれました。これは今後の人生の意思決定の一助になるのだと思います。つまり、
- あまり考えていないと、客観的評価である、駒得・駒損に振り回されがちになる
- ゲームの目的を見失わないと、時には駒損をすること自体に合理性がある
- 大駒を持っているのは安心だが、必ずしもいつも役に立つものではない
幸運にも自分は20代は駒得をすることができました。だからこそかもしれませんが、30代の10年はこれまでの駒得で得た安心感のようなもので自分の行動をレバレッジし、大駒を切る勇気を持って、必要な駒を得ることに注力できるような生き方がしたい。抽象的ですが、そんなことを考えていた金曜の夜でした。
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追記:タイトルで「大駒を切る勇気」と言ってみましたが、最後の段落で書いたように、大駒を切ること自体は勇気でも何でもなく、合理的な判断に基づいている場合が多いのだと思います。だからこそ、目的をハッキリとさせることや、ブレないことが大事なのだな、と自分で書いた文章を一読して思いました。ということで、「大駒を切る合理性」の有無を冷静に判断できるようにつとめたいと思います。
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