高校生の頃に知っておきたかったこと

ここ数年で日本の高校生と交流する機会が何度かありました。多くはオンラインでのやり取りでしたが、勉強とか、研究とか、進路とか、そういう場で話していることを今日は書きたいと思いました。話していることの多くは私が高校生の頃に知っておきたかったことです。私の仕事である研究の話を基にしています。なので万人受けはしませんが、一般的に通じる内容もあるかもしれません。勉強とか進路とかで窮屈に感じている高校生がいたら何か届けばと思います。質問があれば聞いてください。

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勉強とは

私は大学の教員で、研究をするのが仕事です。大学の教員や研究者をやっているというと、勉強が好きなんですね、と言われることがあります。まずはこの点から話したいと思います。勉強が好きかと言えば、好きな科目もあったけど、興味が持てない科目もありました。関連して勉強ができるかと言えば、高校生の頃も今も、自分より勉強ができる人にいつも囲まれています。大人になると自分で全てが完結することは少なくて、自分が苦手なことは他の人の力を借りれば良いので、これは実はそれほど悲観することでもありません。世の中には色んなトピックがあって、大人になると何でも知ってる人はいないことがよくわかります。高校生の頃ですと科目と呼ばれる区切りがありますが、そんなのは文科省が便宜的に決めたものです。全部できなくても大丈夫だと思います。

勉強と研究

こういう話をすると、勉強ができなくても研究者になれるのか、という質問も受けます。高校生が研究者になりたいと思うなら、まずは「研究者になれる」と思っちゃえばいいと思います。研究と勉強は根本的に違う活動だから、一方ができないので他方もできないと思うのは筋違いだと思います。高校生の皆さんの多くは、勉強をしたことがあるけど、今のところ研究はしたことがない人が多いはずです。やったことがないのに、できるかどうかを決めつける必要はありません。

「勉強」は誰かが見つけたことをなぞって覚えることで、「研究」はこれまで誰もやったことがないことを発見して理解することです。これは農業と料理くらい違います。どちらがどちらと言っているわけではなく、食べ物という共通項で一瞬関係あると勘違いしそうになるけど、そもそも全くカテゴリが違うという喩えです。私は高校生の頃にその違いを意識したことはありませんでした。「世の中には勉強と研究という異なる活動があって、それらは違うものである」ということが、この文で伝えたいことの半分くらいです。違うものなので、どちらの方が好きか、どちらに向いている、みたいな話もあると思います。例えば私は勉強よりも研究の方が好きです。

勉強と研究の違い

さて、そういうように勉強と研究には違いがあるとして、高校生までは勉強をすることを求められます。そして勉強の上手さを評価されるのが大学受験です。私は大学の教員なので、果たしてそういう評価に基づいて学生を選ぶのが良いのか、もっと良い方法はあるのかということに意見を持ち、疑問を呈し、必要ならば変えていくことに責任があると思っています。それ自体にはこの文章では触れませんが、現状では日本の大学受験は勉強する能力で学生を選別することが多いと思います。

例えば高校生の数学試験で「点 P が動く軌跡を求めよ」という問題があると思います。この「点 P が動く軌跡」を知ることは非常に「勉強」的です。ところで大半の人の人生において、点 P の軌跡が大事な意味を持つことはまずありません。こんなん求めてどうするんだよ、と思ったことがある人も多いでしょう。私も思ったことがあります。

じゃあ何を求めたらあなたは面白いと思いますか、というのが次の質問です。この質問に答えられない人も多いと思います。そういう質問を自分で持ち、それに答えていこうとするのが「研究」的な考え方の第一歩です。こういう例からも「勉強」と「研究」が違うことはわかってもらえるでしょうか。自分が好きなことや自分が面白いと思うことを、自分の言葉で言うことは、みなさんが思う以上に難しいと思います。ちなみにそれが簡単にできるなら、それは素晴らしい能力です。

勉強と研究の重点配分

何故こんな話を長々と書いたかについてです。高校生だと勉強をすることで評価されることが多いので、勉強が上手くいかないと、無力感を感じたり、思い悩んでしまうかもしれません。しかし勉強は研究者の仕事の1つの側面でしかなく、自分を活かせる可能性は他にもあることを説明したいと思いました。全員が研究者になるわけではないので、このような話をもう少し一般化して、「勉強」的なものと「研究」的なものがあります、と考えても良いと思います。

あまり高校では教えてもらわなかったことを言います。大学に入学後、大学を卒業後と、キャリアを重ねるにつれて、徐々に「研究」的な役割が求められるようになってきます。誰も考えてないことを思い付くとか、物事に誰も思いつかなかったような意味付けをするとか、それらを誰も考えていない深さで理解するとか、そういうことが大事になってくるかもしれません。ところで研究したいことが見つかったとき、それを深堀りするのには、勉強で培われた能力が役に立ちます。そういう意味で勉強は無駄なことどころか、とても役に立つものです。しかし、勉強だけをしているから研究ができるようになるというわけでない点は繰り返しておきたいです。

勉強する人生か、研究する人生か

私は高校生の2倍以上生きていますが、私くらいの年齢でも「点Pが動く軌跡を求める」のは得意でも、自分が何を求めたら面白いかを言えない人は結構います。そのことを優劣で論じるような意図はありません。自分が何をしたいのか知ることはとてもエネルギーが要ることなので、それが難しいのはよくわかります。私もまだ難しいと感じるし、残りの人生ずっと難しいと感じるでしょう。でも、自分が何をしたいのか知ること自体に面白味があって、研究のそういう側面を私は楽しんでいます。

少しひねくれたことを言うと、私は SDGs というようなものが苦手です。それはトップダウンで「この問題が人類に大事である」と決められているという意味で、極めて勉強的なものだからです。研究者は疑い深いので、誰か偉い人が言ってるからそれは正しい課題であるという姿勢に反発すると思います。一方で各々の経験や知識があった上で SDGs が示す課題を自分が重要だと信じて、だから自分が取り組みたいという人もたくさん知っています。私はそういう人には共感します。自分にとって大事なことに取り組もうという姿勢に共感するのです。それは研究的な発想とも言えます。

もしも今自分が「勉強」的なことができなくて悩んでいるのであれば、私は少し勉強から距離を置いても良いと思います。その代わりに、自分が何をやりたいか考えてみるとか、具体的にその何かをやってみるとか、有益な時間の使い方はたくさんあると思います。そのようなことを考えるのは、勉強することと同じくらい大事なことだと思います。ところで高校生の頃はあまり気付かない秘密ですが、20 代や 30 代になってから自分が何を好きか、何をやりたいかと初めて考える人は結構います。順調に大学に進学して就職して、順風満帆に見える人でも、そういうことを考える機会に恵まれないことは結構あるんです。あるいは順調だからそういう機会に恵まれない可能性すらもあります。もし今そういうことを考え始めたら、あなたは他の人より 10 年先を行ってるかもしれません。

研究職を仕事にしていて感じることですが、勉強は研究のテーマが決まってからの方が断然しやすいと思います。何故これを勉強しなくてはいけないかという自分にとっての意味付け・動機付けがはっきりするからです。スポーツと練習に例えると、特定の競技が上手くなりたいという目的が決まると日々の筋トレを継続しやすいというイメージです。理由がなくても筋トレを続けられるのは才能です。一方で長い目で見ると、そういう風に勉強と研究(筋トレと競技)を行ったり来たりすることが多いかもしれません。

重複しますが、私が言っている「研究」的なことというのは、必ずしも学術的な意味での研究に限りません。自分が興味を持てること、という意味として解釈してもらったら良いと思います。少し抽象的な言い方をすると「内的な価値」「外的な価値」というものがあると思います。「研究」的な生き方は、自分の中にある「こうありたい」という気持ちに向き合っていく生き方だと言い換えても良いと思います。そういうものがしっかり見えていると、点Pの動き方は気にならなると思います。余談ですが、私が点Pの動き方を気にしなくなったのは 20 代の後半くらいです。人の考え方が変わるのは時間がかかるので焦らないで下さい。以前にそのような話を書いたことあります。長い話ですが、もし興味があれば読んでみて下さい。

時間軸

あと、時間軸の話をしたいと思います。私が日本で高校生だった頃、○○歳で何をしよう、というようなことを思っていました。18 歳で大学に入り、22 歳で就職し、というような話です。私は一度どこかでそういう感覚をぐちゃぐちゃにするのが良いと思います。それが若ければ若いほど良いと思います。例えば、私は大学院(研究者になるためのトレーニング施設のようなもの)を卒業するのに、日本の同級生より1年余分にかかっています。その他にも海外に留学したので、入学時期の関係で日本の同級生より半年余分に時間を使っています。日本的な意味で初めて就職したのは 33 歳だったと思います。でも、それが遅れなのかどうか、それを決めるのも自分で良いのだと思います。

世の中にはいろんな時間軸があります。たまたま今自分が日本に生まれて、18 歳で大学に行きたいと思うのかもしれません。アメリカでは 17 歳で大学に行く人も多いですが、異なるシステムの比較にどのような意味があるでしょうか。兵役があって大学に 20 歳で入る国もあります。私の研究室には 30 歳で大学院に入りたいと連絡をしてくる方もいます。そもそも大学進学率が 10 %以下の国もあります。関係ないですが火星の 1 年は地球の 687 日とのことです。10 代や 20 代ならば、年齢やスケジュールのようなものを気にせず、遅れだとか、そういうことを気にしないで欲しいです。そういうのは外的な価値の最たるものです。

どのようなキャリアを歩むにせよ、勉強的なことと研究的なことを繰り返しながら自分を見つけていくのだと思っています。なので、例えば今高校生として勉強が苦手であるとか、勉強に興味が持てない人でも、気にすることはないです。10 年くらいの時間軸を考えて、気楽に構えて下さい。自分のテーマ(自分にとって大事なこと)が見つかれば勉強をしたくなるかもしれません。一方で、今勉強ができる人はラッキーです。それも素晴らしい才能です。せっかくの能力を生かして、もっともっと自分がやりたいことを見つけられると楽しいとも思います。

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長くなってしまいました。言いたいことを上手く書けているかわかりませんし、まだ書きたいこともたくさんあります。40 歳の私から見ると、高校生であることは可能性であり、強みであり、私はその広大な可能性が羨ましいです。あなたの人生は、誰かが決めた「点Pが動く軌跡を求める」という問題を解き続けるだけのものにする必要は決してありませんし、それよりもっともっと自由なものになることを願っています。

2,145 thoughts on “高校生の頃に知っておきたかったこと”

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